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死体切断殺人、何が悪いのか。 [時事問題:未分類]

☆注意☆

この記事は日本が武装しなければ世界が平和になるという考え方を持っている方には馴染まないので読まずにページをお閉じください。

 


ある歯科医の一家でバラバラ殺人が起きた訳ですが、被害者は殺されるべくして殺されました。

そもそも言葉や現実より命が重いなんて誰が決めたのでしょうか。命より重い言葉や現実はたくさん在ります。確かに他人の未来を奪うという意味では、殺人は少なくとも善い行為だとはいえませんが、本件において被害者は責任は何にあったにしても散会も受験に失敗して大きなプレッシャーやジレンマに苛まれたであろう、もしかしたらプレッシャーに押しつぶされそうになったいたかもしれない容疑者に「自分には夢があるがお前には夢がない」「勉強しても全然だめだね」などと暴言を吐いた訳です。

一元的なものの見方しかできない人は、それでも殺人は良くないと言うかもしれません。我慢しろと。しかし、だからといって死体に鞭を打つ様な一方的な不利益である暴言に対し何の反抗も許されないのでしょうか。法は守ってくれません。

だからといって女優を目指していたという被害者の顔を変形するまで殴ったりしても一生恨まれます。そんなリスクより殺してこっそり捨ててしまうほうがどれだけ楽だったでしょうか。ある意味ではリスクマネージメントのようなものです。

むしろ暴言を吐かないという予防が簡単にできるはずなのに無思慮に引き金のを引くかの様に、言葉を発してしまいましった事には問題は無いのでしょうか。未熟な幼児であれば許されるでしょうが、大の大人が被害者が暴言を吐かないと言う予防ができなかったことに対する不利益を受けるのは当然です。それに対する容疑者の合理的かつ冷静な行動だったのではないでしょうか。

養老孟司氏の言葉を借りれば、女性のほうが内部的安定性を有しているため、口で何を言われても動じにくいのです。女性は何を言われても動じず、男性は死よりも辛いフラストレーションをためてろということの方が暴論ではないでしょうか。

しかし多くの日本人は目に見える殺人のみをとても嫌います。いじめ問題にしても自殺するほど追い詰めている殺人者達にはスポットは当たりません。たばこで大量殺人を繰り返している喫煙問題にしても触れないように努力しています。

第三者の直接的な死のみを、悲しいと言うことをと一部の人は「優しさ」なんて言葉で表してしまいます。

人の命は何よりも尊ぶべきと言う言葉は嘘です。

所詮何の前提もなく「何があったとしても人を殺しちゃいけない」なんて言っている人は、優しさなどではなく一元的なものの見方しかできない宗教にはまっている人々なのです。仏教の不殺生の戒というやつです。もしも自分が無神論者だというのであれば、第三者の死に対して特別な感情を持ってはいけません。

もしも仮に自分が優しい人間で死に対して本当に嫌悪感を持つと信じるのであれば、喫煙者やいじめっこ達にも同じ事を説いて回ってください。結果だけを見ると今回の殺人者と同列な者達です。むしろ理由無き無差別殺人である分だけなお悪い。


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