小卒ニートが考えたこと。 [人間思考思索]
いや、でしたというべきです。
小学校までは、1日も休まずに行き続けました。
全く論理的ではありませんが、中学校から行かないことを決めていたからです。
自分で決めていました。
1日たりとも休まずに、遅刻もせずに小学校に行きました。
そして、行くのをやめました。
日光過敏症ということに誰も気づかれず皮膚がただれていた私は、イジメにあっており学校が楽しいと思うことはあまりなかったのです。
たらればですが、両親が私が日光過敏症であることに気付き、太陽から守ってくれていたら何か違っていたのかもしれないとも思うことがあります。
しかし、当時の社会常識では、太陽の光が悪影響を及ぼすなんてことを検討する人間は、医師ですらほぼいなかったでしょう。
イジメについても、残念ながら小・中学生と言うのは、その殆どが知能が発達していないため、思考するに及ばない事がほとんどです。
入水を試みたことありますが、怖くて達成することができませんでした。
子供ながらに、良い選択をしたと思います。
当時の私も当時も彼らも落ち度はなかったでしょう。
友人もいましたが、数少ないものでした。
また、小学校の頃、社会は私が思うよりも理不尽にできている事を感じていました。
特に5-6年に教壇に立っていたのは、左翼運動に必死な頭のおかしな教師でした。
世界史のテキストの近代史のみにほぼ8割の時間を割いていました。
彼らの考えは、子供から見てもおかしいのは明らかでした。
私は学校で学ぶことは何一つない事に気づきました。
そして彼らの教える内容はとても面白くない。
自分で本を読んだほうがマシだったのです。
保身のみを考える教育委員会や、教える技術を教えない事を是とする左翼活動家である教師達の完全なる被害者であったでしょう。
今でも教える技術を磨かない多くの教師が教壇に立っていることを考えると、嘆かわしく思います。
いじめ及び教師に対する不信感。
学校に行く理由をなくすためには十分な理由でした。
こうしてめでたく小卒ニートになりました。
世の中学生が学校に行っている時間、好きな時間に学校に行って図書館で本を読んだり、ゲームセンターに行ったりしていました。
自分が発達障害なのではないかと思い、必死で本を読み漁ったりしたこともあります。
職質に何度もあったのもこの頃です。
今考えたら、警察も仕事をすることがあるのですね。
中卒や高卒のあまり良くないグループと仲良く遊んでいたのも良い思い出です。
小卒は私だけだったので、全員年上でした。
外に出て、好きなことをやるのはとても楽しい時間でした。
漫画を読み漁ったり、ゲームをやったり、たまには科学の勉強をしてみたり。
RPGを1日1本攻略という無茶な計画を立てて、毎日ゲームをやっていた時期もありました。
ゲーム自体は、今でもやらない日はないほどやってますが・・・。
今考えたら恐ろしく時間を無駄にしていました。
お金が欲しくなったので、当時は16歳未満でも許されていた新聞配達をやったりしていました。
今だとさすがに雇うところはなさそうですが、14歳とかでお金欲しいときはどうしているんでしょうかね・・。16歳位までは新聞配達をやっていた気がします。
この時期に3年も4年も自転車で新聞配達をやっていたせいで、足だけ発達したおとなになりました。
今でも足だけでかいです。
そして、毎日ブックオフで漫画や小説を買って読み漁っていました。
当時は安かったんです。全部100円か200円でした。
今見ると、大体定価の50%以上ですよね。良い時代でした。
最終的には3万冊くらいの本があったようです。
ゲームも何百本とありましたが、1度全部盗まれました。
盗まれた日を境に、中卒の悪いグループの1人が地元から引越していったので、恐らく犯人はその人でしょう。
ジーンズに、マジックで膝に「必」って書いている中二病バリバリの痛い人でした。
警察を呼びましたが、被害届を出されるのを嫌がっていました。
その上どうせ見つからないからねぇと言っていたのが印象的です。
彼らははやり仕事しないのでしょう。
また買い漁ったので、特に影響はなかったです。
1日中やりたいことやっていました。
ゲームの大会に出たり、16歳で原付バイクの免許を取り、父にスーパーカブを買ってもらってどこまでも走っていったりしました。
ある種では、充実していた日々でした。
この頃の世界は小さく、矮小なものでした。
とても楽しい、世界でした。
大晦日です。2009年今年もありがとうございました。 [人間思考思索]
インターネットのアンケートに回答する人の中で取った統計では、9割の人が家で過ごすそうです。
私もおそらく家で過ごすことになります。
来年も良い年になればいいなぁ。
そんなわけで、最近のメディアに捧ぐメッセージを書いて今年最後のエントリーとします。
"カゴの中の鳥"
社会規則を構築した人々はこう言います。
「あなたは、カゴを打ち破る必要があり、また、その力がある。
故に、カゴを打ち破らなくてはならない。」
しかし、そのうち破ったカゴが、更に大きなカゴの一部だと言う事はまれではありません。
捕われる枠を打ち破ることが出来たとしても、別の枠に捕われるだけだという考え方も出来るのです。
社会規則として、反論の余地を持たない正論ほど恐ろしい物はありません。
例えばあなたは、大きな平面上の空間から飛び出した立体に属しているかもしれないのです。
立体を打ち破り、平面上に飛び出たところで、可能性が増すとは限りません。
むしろ、理解し得ない無限の可能性がある混沌の世界より、可能性を社会規則にできる世界の一員であり続けることこそが人間のあるべき姿なのではないでしょうか。
やや哲学的に言うならば、大きな物語を否定しても、小さな物語は残ります。また、小さな物語を否定しても、大きな物語は残るのです。
気持ちがわかるって何だろう。 [人間思考思索]
いつもブログを見てくださっている方はご存知の通り、私は実学人間で、ジャーナリズムなんかはすきなのですが、哲学なんかが大の苦手なのですが、最近少し抽象的なことも考えるようになりました。
今日もマイペースで行きましょう♪
さて、最近ふと思ったことを。
考えるとは何でしょうか。人の気持ちがわかるって何でしょうか。
相手にシンパシーを感じているときでしょうか。
しかし、それは自分の中だけの話で、相手のことは振る舞いと言葉からしか伝わらない。
以心伝心なんてありえない。
それでも、気持ちが一致した!って思える瞬間ってありますよね。
だから、もしかした一致する瞬間もあるのかなって思ったりもするけど。
すべてを包括するような話し方するような人いますよね。
先日のブログで言うところの消極的沈黙(ネガティブ-サイレンス)。
聞き上手って言えば聞こえは良いけど。
多分詐欺師とかホストとかに多いタイプ。
結婚詐欺に合った女性の80%超が"優しさ"に騙されたらしい。
この心の動きは何だろう。
自分を理解してくれてるって勘違いできる理由は何だろう。
なぜ人を信頼できるんだろう。見えるもの以外を信用できる理由は何だろう。
友達は「似たような趣味嗜好の人間は妙に連帯感というか結束感があるのは感じる」と言う。
"以心伝心"という幻想を自分の中に作り上げて、それを元に自分の中で納得して信頼するのでしょうか。
積極的沈黙と消極的沈黙の差異についての考察。 [人間思考思索]
一次試験も終わったので、久しぶりにジムへ行ってきました!
調子に乗って10キロくらい走って、ウェイトトレーニングしてたら疲労棍倍で頭が働きません(笑)
今日もマイペースに行きます!
ってなわけで、サーバーに残ってたゼミでの私のカンペでもコピーします。
<バックヤード>
そもそも、私の参加するゼミは環境管理型の権力や、近代とポストモダンについて東の対談本を読みながら、理解し深めてゆく・・・・はずだったのですが・・・なぜか先生の研究テーマの「紛争解決における沈黙の意義」について話すことに(笑)
そんなわけで、バベットの晩餐と言う映画を見ました。
その映画から、お金ですべて解決する現在の司法システム以外に、沈黙という物に紛争解決の価値を見出せるのではないかと言う議論を行ったときの私のカンペです。内容は、沈黙にはいろいろな種類があり、効果や欠点も違うため、切り分けて理解する必要があるという指摘のための資料です。
映画の内容は長いので端折ります。しかし内容は、かなり一般的に書かれていますので、映画を見ていなくても楽しめると思います。
<内容>
*1)青い部分は映画の内容に関係するので、文脈から読み取ってください(笑)
*2)消極的沈黙の最も簡単な例は、「聴き上手な人」に愚痴を聞いて貰う事。
1、積極的沈黙の特性と欠点
料理に関して決して触れてはならないという規則を作り、それを守るという、いわば積極的な沈黙と、代金や料理長だったことを積極的に言わない沈黙、いわば主張しない消極的な沈黙には大きな差がある。従って、この二つは別々に考える必要がある。
前者は同一のルールを作ることで内心の共通領域を作り、共通領域を守ることにより普段と違う意識を持つ状態を作る。先日指摘の宗教的権威はこちらにあるのではないかと考える。細木某に心酔しきった信者が細木某それ自体を規律とし、発言を重視する心境や、トランス状態を作り共通の認識を持つという構成たるは、ストックホルム症候群などにもつながると考える。
欠点は、権威が信頼できなくなったときや、我に返ったときに双方に不利に働くことが考えられる。更に、当事者の気分を害し、悪い方向に作用することも考えられる。
2、消極的沈黙の特性と欠点
後者の消極的な沈黙は、"わかったつもり"から来るなだめの効果がある。映画で示された芸術鑑賞の構成は、話を聞くだけで、基本的にはまったく意見しないことにより自己解決を促すようなものである。又は、占い師によるどんな状況でも外さない一般的な回答のようなものである。つまり、気分転換を行うことで、頭の中が整理されている事が考えられる。もちろん、心の整理ができる環境を作り上げることが大切である。先生の例示された医療過誤事件の当事者医師が、毎年命日に事件の遺族へ蘭を贈った件でも、命日に蘭が贈られることにより頭の中整理され自己解決されたと考えられる。
欠点は、気分転換には最適だろうが、流れに身を任せるという部分では、タイプの違う時間薬のようなものであるため、余計に憎悪等が高まり、まったく解決しない恐れがある。更に、基本的に芸術家や相談を受ける人間に責任を転嫁することが容易ではないため、責任が全て本人に帰属するため問題が悪化することが考えられる。
ってな感じで、人間関係にも同じことが言えます。身近の人を見回してみてください。
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クリスマスの過ごし方でわかる、詐欺にあいやすい人間☆ Happy Merry Christmas!! [人間思考思索]
メリークリスマス!
去年のクリスマスは教会へ行きましたが、今年は雑務がたまっており、家族でパーティした後は何もやっていません。
と、いうわけでクリスマスに因んだ話をして見ましょうか。
題して、クリスマスの過ごし方でわかる、詐欺にあいやすい人間!
クリスマスの過ごし方はそれぞれだととおもいますが、勝手にカテゴライズさせていただくと、「友達や恋人とお金をかけて特別なイベントを催す」「友達や恋人とお金をかけずに特別なイベント催す」「クリスマスなのでミサへ行く」「家族と過ごす」「普段どおり」と、これくらいでしょうか。
これにより詐欺に騙されやすい人間がわかります(笑)
今年は昨年より更に家で過ごす人が増えたようで、なんと50%を超えたようです。それに対して、ホテルやレストランを予約していると言う人間は2%以下でかなり珍しい存在です。やっと社会扇動型詐欺の呪縛から解き放たれているように思います。
テレビなどでは、コカコーラの宣伝であるサンタクロースの成功を羨んで、「恋人たちのクリスマス」等とがんばって宣伝していますが、扇動に応じる人間が減っているところを見る限り失敗ムードであるようです。
まずは、マジョリティの「家族とすごす」ですが、この人たちは家庭を大切にし、かつイベントを楽しめる人間です。
「クリスマスなのでミサへ行く」は、とても伝統を重んじて、自分を表現することができる人間です。
「友達や恋人とお金をかけずに特別なイベント催す」は、いつもより少しだけ変わったことを行うことで刺激になり、とてもよい結果を及ぼすでしょう。
ここまでの3種は、小額詐欺にあう可能性はありますが、大丈夫だと思います。
「普段どおり」の人は、他人に影響されずとてもしっかりした人です。小額詐欺に引っかかる事はありませんが、納得しツボにはまると大きな詐欺に合うことがあります。
「友達や恋人とお金をかけて特別なイベントを催す」は、今回一番のマイノリティだと思いますが、いわゆるホテルやレストランを予約している人間です。このカテゴリの人間は、自分たちのアニバーサリーでもないのに、マスメディアのデマゴーグに簡単に応じてしまい簡単に大枚を叩いています。もちろん普段からこのようにお金を使っている人間ならばよいのですが、普段は使わないのにクリスマスに使ってしまうのは詐欺に騙されやすい人間だといえます。
ここまで言い切れる理由は簡単で、「特別」いう単語に騙されている部分にあります。詐欺師は常として、「特別価格」や「特別な機会」等という言葉を使い騙してきます。これに騙される人間は詐欺にあいやすい人間だと言えます。
身近に「クリスマスだからレストランを予約した」などという人がいたら注意を喚起してあげましょう!