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子供は天使ではない。 [時事問題:いじめ]

いじめによる自殺自体は、成人のそれに比べたら極少数であるが、余りにも大きな問題とする事による連鎖反応で自殺が増えないかと心配になる。連鎖反応であれ、大本の問題はやはり、加害者側にあることは言うまでもなく、なぜかタブー視される少年犯罪にメスを入れる事としよう。

少子化が問題となる程の昨今、人口の一割となった少年が犯罪全体の半数を占める現状がある。取り分け、強盗、殺人、強姦などの凶悪な犯罪率は成人のそれに比べ比率で十倍から二十倍である。
少年犯罪に対し保護主義だけを主張する論者も多かろうが、それは性善説にたつ根拠のない主張であり、劣等している。
少年たちが保護者の正当な監督・懲戒権に服していれば保護主義も意味をなすが、現代少年たちは自由主義を叫び懲戒権に服していないのが現状である。被害者なき犯罪を非犯罪化するためには少年たちにも自己責任の原則を取り入れなければ見事な片手落ちではないか。

このような議論をすると、必ず「少年に罪はなく、社会が悪いのだ」 という論者が現れよう。

確かに、団塊の世代が育つ時期に符合して少年犯罪が増加し始めた。学校にも行かず学校を封鎖したり根拠無い主義主張を繰り返し、あげくには有名な浅間山荘に行き着くわけである。この団塊の世代は再び牙をむく。九十年代に少年犯罪が増加するのだが、これは真正団塊ジュニアである。団塊の世代は自分たちが規範を潰すことばかり行ってきたのだから子供たちに規範を伝達できるはずがない。団塊ジュニアの人生を食いつぶし、真正団塊ジュニアを犯罪傾向に育て上げ、その責任をとらず武勇伝のみを語り散らす団塊の世代は責めに値する。

もっとも、このような議論は少年が犯罪を行ったからといって団塊の世代全員を牢獄に入れる事もできず、また社会に刑罰を科す事は不可能であるゆえ、抽象的すぎて一般予防の観点から馴染まない。やはり、少年犯罪を減少させるためには少年たちへの抑制以外考えられないのだ。


社会に出て学んでいない上に、補導されても刑罰が科されることは1%にも満たない事を知っている少年たちは正に無法者といえよう。情報化の現代社会において大人と変わらないかもしくは大人以上の知識を持ち、社会に失望を持ち判断能力を持たない少年たちに何をやっても刑罰を受けないという免罪符を与えていることとなる。

「罰せられない今のうちに殺しとこう」というわけである。

成人した者であっても、変わったことや違反することを格好良いなどと考えている愚者も多いことを鑑みるに、判断能力の無い少年たちは違反行動に出やすいということも頷けるのではないか。喫煙習慣を持つものの殆ど少年の内に依存症に陥っていると言う事実とも合致する為争いは無かろう。

刑法に要請される一般予防に著しい喪失を見せる。
殺人を犯しても審判でネコをかぶって反省すれば許される。

反省だけなら猿でもできる。


 


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